森田剛主演『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を観劇した

今、ものすごく、声を大にして言いたい。

 
森田剛さんは最高だーーーー!!!!!!(とりあえず文字を大きくした)
 
 
 
2014年4月26日13:00開演。待ちに待った森田剛主演舞台『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を観劇した。初めての大阪城公園駅。大阪城ホールを横目に進むとあったよ、シアターBRAVA!
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流石にここまででかでかとしたポスターがあれば方向音痴なわたしでもわかるだろうという親切さ!!!(自意識過剰か)
 
 
森田剛くんの芝居はとても良い。」
そんな噂はもう耳にタコができるくらい聞いた。それは先日V6の会報でジュンピーこと岡田准一さんが「事務所から『鉈切り丸』は本当に良い芝居だから観に行きなさいと言われた。」と暴露していたことからも伺える。実際舞台だったらIZO金閣寺も鉈切り丸もだし、大河ドラマ平清盛』に出演していた際の評判も良かったように記憶している。鈍感なわたしでさえV6担になっていなくてもいつかは彼の舞台を観に行くべきかもしれない、と考えていたくらいだ。(これマジで)
 
そしてその機会がやっと来たんだ!!待ちに待っていた!!!毎年新学期のバタバタで身体精神ともにやられてぶっ倒れそうになるこの時期の心の支えの1つだったと言っても過言ではない。(俗に言うフライング5月病)(言わない)
この3日くらいはあまりにも楽しみで四六時中10センチほど地面から浮いた状態で過ごしていたと思う。てか浮いてた。心が。
 
せっかく観劇したんだから、わたしの空っぽな頭を使って思ったことを少し書いてみたい。
※ネタバレありだと思いますのでお気をつけください。
 
 

夜中に犬に起こった奇妙な事件

 
(一応公演中ペンとメモを握りしめて色々と書き殴っていたが酷いものだった。相変わらず読めねえ。そんなわけで適当に、感じたことだけを羅列してみる。ああこれは後で後悔するパターン。)
 
 
最初にピアノの生演奏から始まって明るくなる照明に照らされて立っていたのがもう山口幸人だった。どこか儚い存在感を纏っていて、雰囲気から既に森田剛という存在ではなかった。
この舞台上にいたのは終始本物の、山口幸人という少年でした。
どこにも森田剛はいなかった。強いて言えば最後の最後だけ。3度目のカーテンコール終了後に去っていく際に一瞬手を振ったその手だけ。3時間もの間休憩時間以外出っぱなしだったのに、全部が純粋でまっすぐでキラキラした、宇宙と数学と証明と赤と犬が大好きな15歳と3ヶ月と少しの、アスペルガー症候群を持つ少年でした。声は少し高めで掠れ気味、少し猫背、歩き方や仕草表情どれひとつ取っても自然でそこに森田剛はいなかった。まるで山口幸人くんが森田剛の身体を借りて自由に動いているようにも思えた。わたしは天才を生で観ているんだ、と震えた。
わたしが観ていたのは、山口幸人という少年が書いた純粋でまっすぐで哀しくて優しいお話の演劇だった。
 
演劇を観ていてやはり良いなと思うのは全てが生であること。
余計なマイクや大掛かりなセットもあまりない。TVなどの映像では常に流れているBGMもほとんどない。あるのは出演者といくつかの机と椅子と木枠と小物たち。アナログの世界だ。裏に音響があるとしても、目に見えるのはアナログの世界だ。
それらを利用して観客の想像力をうまく使いながら舞台上で誰もが演技をする。机や椅子や木枠まで演技をする。木枠でさえ部屋のドアや玄関の扉、新幹線の扉に変化するという演技をする。アナログの世界だけれどそこで起こっていることは全て生のリアルだ。登場人物たちはそれを本物として動いているのだから。
そして机や椅子や木枠を駆使して変化する場面転換の面白さ。故意に観客の前で照明を照らしたまま場面の変化をそのまま生で魅せる。わたしは舞台演劇のこの「生」感が物凄く好きなのだ。生だからこそのリアルをその場で観られるから。そこで本当に起きているから。
 
 
物語はとても分かり易いけれどとても難しかった。
幸人くんを取り巻く環境の難しさ。
幸人くんがお母さんからの手紙を読むとき、予定されていないことや予測できないこと、論理的でないこと、存在しない物事が苦手な彼は混乱しパニックになり頭を抱えて蹲る。しかし混乱して蹲っている彼に母(高岡早紀さん)が現実を畳み掛けるシーンはとても哀しかった。
元はと言えば誰も悪くないのだ。幸人くんはもちろん、お父さんもお母さんも悪い人間ではないのだ。2人とも幸人くんに精一杯の愛情を注いで育てていたはずだ。人間だもの、仕方が無い部分だってあるのだ。疲れてしまうことだってあるんだ。だからこそ哀しいんだ。
 
終始少ない表情で一つ一つ証明をするように論理的に話をする幸人くんは、そのために早口で数多くの言葉を発する。表情の代わりに言葉と動作で表す。
何事も「決まったこと」が好きで、宇宙について話す時や数学の照明の問題を解く時のキラキラした顔。ベージュを心から愛おしむように抱きしめて撫でる姿。嫌いなものや苦手なものにはパニックを起こしてしまう姿。
そんな個性溢れる彼を見ているとたまらなく愛しくなる。
でも愛しいだけじゃだめなんだ。彼や彼の周囲の前にはまだまだたくさんの壁があることは想像に難くないから。
幸人くんが東京でパニックになる直前に『バリアフリー』という文字が大きく出てきたけれど、とても皮肉だなと思った。そのシーンは幸人くんが必死に行動しようとしてもそれがし辛い世の中のバリアを表しているように思えたから。
 
彼はその後どうなったのだろうか、科学者になってベージュと一緒に幸せに生きてくれているのだろうか。
観終わった時に、山口幸人くんのこれからの幸せを願わずにはいられなくなった。
 
 
余談だけれど、わたしの座っていた席のすぐ近くに車いすエリアが設置されていた。
カーテンコールの際、観客が立ち上がってしまうのだが、前の人が立つと車いすエリアの方には確実にカーテンコールは見えていなかった(観ようとしていらっしゃった)。ちなみに背の低いわたしもカーテンコールはほとんど見えていなかった。
シアターBRAVA!の仕様の問題は大いにあると思うけれど、これも一種のバリアだと思った。おわり。